2012.03.02 Fri
応援団結成の話
先日の「ちょっといいお話」の後日談です。
以下は、伊達君(3-1)にお願いしました。
サッカーのインターハイのために作ったというと語弊があるかもしれない。
当時、青田赤道団長の「花の応援団」が一世を風靡していたので、
長田には応援団がないから作ろうかという機運が一部で盛り上がっていました。
そこにあの劇的なサッカー部の優勝、全国大会出場です。
そこで生徒会執行部内で一気に機が熟してメンバー集めを始めました。
執行部メンバーにあらかじめ「応援団ができたら入る」といっていた市栄君(3-3)や福井君(3-5)、体育祭実行委員長で生徒会室に出入りしていた薄井君(3-9)、野球部を退部していた梅本君(3-8)とかが加わってスタートしたと記憶してます。
応援団結成を後押ししてくれたのは、
生徒指導担当で執行部の顧問役のひとり森田先生で、応援団の顧問も引き受けてくれて、いろいろ提案、指導いただきました。
以前は長田にも応援団があって、熱心に活動していた先輩を森田先生が知っているので連絡とってくれることになり、
その先輩が応援時の型の指導に来て下さり、われわれは指導を受けたんです。
でも野球の応援は高校野球でも見慣れているのでイメージできますが、
Jリーグもない時代、「サッカーの応援ってどうすんねん?」という感じで全くイメージできません。
荻野先生からは、審判のホイッスルと紛らわしいので笛の類は使用禁止と言われるし、頭を痛めました。
結局、応援団ができて間なしだし、サッカー全国大会の会場も北陸か東北の日本海側の県で離れていて交通費がかかりすぎるし、サッカー全国大会でのデビューは断念して、野球部の甲子園予選で実戦デビューしました。
その前、高2の夏に高校総体の壮行会で講堂の舞台にて応援団が大根踊りをしたのを覚えてますか?
以下は、伊達君(3-1)にお願いしました。
サッカーのインターハイのために作ったというと語弊があるかもしれない。
当時、青田赤道団長の「花の応援団」が一世を風靡していたので、
長田には応援団がないから作ろうかという機運が一部で盛り上がっていました。
そこにあの劇的なサッカー部の優勝、全国大会出場です。
そこで生徒会執行部内で一気に機が熟してメンバー集めを始めました。
執行部メンバーにあらかじめ「応援団ができたら入る」といっていた市栄君(3-3)や福井君(3-5)、体育祭実行委員長で生徒会室に出入りしていた薄井君(3-9)、野球部を退部していた梅本君(3-8)とかが加わってスタートしたと記憶してます。
応援団結成を後押ししてくれたのは、
生徒指導担当で執行部の顧問役のひとり森田先生で、応援団の顧問も引き受けてくれて、いろいろ提案、指導いただきました。
以前は長田にも応援団があって、熱心に活動していた先輩を森田先生が知っているので連絡とってくれることになり、
その先輩が応援時の型の指導に来て下さり、われわれは指導を受けたんです。
でも野球の応援は高校野球でも見慣れているのでイメージできますが、
Jリーグもない時代、「サッカーの応援ってどうすんねん?」という感じで全くイメージできません。
荻野先生からは、審判のホイッスルと紛らわしいので笛の類は使用禁止と言われるし、頭を痛めました。
結局、応援団ができて間なしだし、サッカー全国大会の会場も北陸か東北の日本海側の県で離れていて交通費がかかりすぎるし、サッカー全国大会でのデビューは断念して、野球部の甲子園予選で実戦デビューしました。
その前、高2の夏に高校総体の壮行会で講堂の舞台にて応援団が大根踊りをしたのを覚えてますか?
| 思い出編 | 08:51 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑